1.はじまりは、あの一言から - 気合じゃない、って話です –
「根性」って、出せるものなんだろうか?
「根性無しは、根性について語るな!!」
──アニメ『ハイキュー!!』の中で、虎が研磨に放ったこの一言。
それを聞いた研磨が、「根性ってなんだろう?」と考える。
このシーンが、ずっと頭から離れなかった。
そして、研磨のモノローグにも、深く共感した。
———-
根性。
漠然と嫌っていた言葉。
近頃は世間でも煙たがられがちなこの言葉は、まるで“気持ち次第でいつでも出せる”かのように扱われている。
でも最近思う。
「根性」って響きを好む人も、嫌う人も──
実は、両方が思っている以上に、「根性を見せる」って難易度が高いことなんじゃないかって。
根性って、きっと“最終奥義”。
精神と体力を鍛えた者が、満を持して発動できるもの。
おれには、まだ使えない必殺技。
このモノローグのあと、研磨は研磨なりの「根性」という最終奥義を発動し、試合に勝つ。
そのシーンに触れたとき、ふと考えた。
「僕、根性出したことあるかな?」
うん、ない。
僕、根性を出したことも、使ったこともない。
しかも──たぶん、出せない。
2.背中を押したのは、スタッフの挑戦
スタッフの挑戦に背中を押されて、自分もやってみようと思った。
当院には、トライアスリートとして五輪を目指す長島実桜さんというスタッフがいる。
彼女は日々の診療の合間にも、ストイックに練習を重ねている本気のアスリートだ。
その姿を見て、自然と心が動いた。
「自分も一度、やってみようかな」と。
彼女を応援する気持ちも込めて、まずは自分も挑戦してみよう。
そんな想いが、僕の背中を押してくれた。
3.自分の人生をたどるコースで
初めて「根性」と向き合うために選んだのは、地元のトライアスロンだった。
今年、人生で初めて「LAKE BIWA TRIATHLON」──
トライアスロン(ミドルディスタンス)に挑戦した。
会場は、滋賀県守山市の琵琶湖。
地元・守山の、小学校区にあるビーチだった。
なぜこの大会だったかというと、理由はひとつ。
ここが“自分の庭”だったから。
そして、地元の大会を盛り上げたかった。応援したかった。
スイムの会場は、子どもの頃に何度も泳いだビーチ。
夏休みは毎日のように通って、真っ黒に日焼けして遊んだ場所だった。
おそらく、どの参加選手よりもここで泳いだ回数だけは負けないと思う。
バイクコースは、通学や遊びで慣れ親しんだ道。
自転車でも走ったことが何度かあるし
中高と近江八幡へ通っていた頃には、毎日のように通っていた。
ランコースに至っては、まるで自分の人生をたどるような道だった。
釣りをしたあの堤防、友達の家のすぐ近く、友達の実家が営んでいた──今は友達自身が営んでいる喫茶店。
子どものころに通っていたスイミングスクールの跡地、今でも家族と訪れるショッピングモール……
どれも僕の生活に根付いた、懐かしく、そして温かい記憶の場所。
かつてそこには「ホテルレークビワ」や「ワンワン王国」もあり、家族や友達と過ごした記憶が色濃く残っている。
———-
ランの折り返し地点のすぐ近く。
そこには、かつて小さなカート場があった。
僕が二十歳手前の頃、その場所で骨折した。
それは、何気ない日常のなかで起こった、けれど間違いなく人生の分岐点になる出来事だった。
その怪我がきっかけで、僕は整形外科医を志すようになった。
振り返れば、あれがすべての始まりだったのかもしれません。
そんな場所を、いま、自分の脚で走っている。
しかも、まさにその出来事の“折り返し”ともいえる地点を。
トライアスロンという「今」と、僕の人生の「これまで」が、一本のレーンの
上で交差しているような──
そんな、不思議であたたかい時間だった。
大会受付と競技説明が行われたマリオットホテルも、旧ラフォーレ時代には父が嘱託医をしており、何度も訪れた場所。
かつてはアイススケート、プール、テニスコート、体育館、プラネタリウムもあり、法事の食事にも、家族の外食にも何度も利用していた。
この大会は、僕にとって「特別な舞台」だった。
地元という思い出のフィールドで、人生初のトライアスロンに挑む──それだけで胸が高鳴った。
4. “最終奥義”は発動できなかった
完走はできた。けど、“根性”は発動できなかった。
約1年半かけて準備を始めた。
体重96kg・体脂肪率32%から、78kg・20%まで減量した。
前年の「LAKE BIWA TRIATHLON」をちらっと観に行って、モチベーションを高め、少しずつ体を作っていった。
そして今回、実際にエントリーしてみて思ったのは──
おそらく、ここまで“超地元”な参加者は僕だけなんじゃないか、ということ。
子どもの頃から泳いでいたあのビーチ。
通学や遊びで何度も通ったバイクコース。
釣りをしたり、日が沈むまで遊んだランコース。
とにかく、琵琶湖と琵琶湖大橋、そして比叡山に沈む夕陽が、どうしようもなく綺麗なんです。
この大会の舞台は、まさに──
僕の“毎日そのもの”だった。
もともと、スイミングは小学生時代に強化選手だったこともあり、
運動経験は全くのゼロではなかったけどスイムが一番不安だった。
30年以上、そんな距離は泳いだことがなかったから。
大会当日、無事にスタート。
スイム、バイク……となんとか乗り越えて、いよいよ最終種目ランへ。
正直、ラストのランが一番きつかった。
バイクの終盤から左太ももが攣りそうで、まともに脚が動かなかった。
「もう歩いても完走はできるな」──そう思った瞬間、心がふっと緩んでしまった。
結果、後半は半分くらい歩いていた。
やろうと思えば走れた。でも、走らなかった。
ああ、僕はまだ“根性”を出せなかったんだ。
5. 根性は、“精神と時の部屋”を経由しないと出せない - 界王拳や全集中の呼吸と同じで –
根性って、意志じゃなく“準備”なのかもしれない。
根性って、気合や勢いじゃない。
心と体を整えてきた人だけが、必要なときに出せる力。
普段から全力を出す準備ができていないと、
「ここぞ」という場面で、自分の底力に手が届かない。
界王拳も、全集中の呼吸も、使えるのは“鍛えた者”だけ。
このときの僕には、まだその“下地”が足りなかったんだと思う。
根性を発動できるほどの精神も、体力も、十分には鍛えられていなかった。
でも、挑戦してみたことで、初めて「根性ってこういうものかもしれない」と肌で感じることができた。
6.トライアスロンって、こんなに楽しいんだ しかも守山で!
プレイヤーファースト──だからこそ、すごく楽しかった。
トライアスロンって、本当に「プレイヤーファースト」だと感じた。
誰にやらされるでもない。
誰かのためでもない。
完全に、自分でエントリーして、自分の意思でスタートラインに立つ。
苦しくなっても、誰かに甘えることはできない。
でも、誰にも文句を言う必要もない。
やらされてる感はゼロ。
自分で決めて、自分で走る。
だからこそ、すごく楽しかった。
そしてもうひとつ、強く感じたことがある。
この「プレイヤーファースト」を、運営側も本気で貫いてくれていたということ。
コースの設計、会場の雰囲気づくり、ボランティアの声かけ。
どれをとっても、「選手のために」という想いがひしひしと伝わってくる運営だった。
———-
さらに、地元ならではの光景には胸が熱くなった。
地元の中学校や高校の陸上部の生徒たちが、ボランティアとしてサポートに入ってくれていた。
そしてなんと、娘の友達から、スポーツドリンクを5回も受け取った。
そのたびに「がんばってください!」と声をかけてくれて──
心が折れそうな場面で、その声が、何よりの支えになった。
あんな応援を受けながら走れる大会なんて、他にはそうそうない。
地元で挑戦して、本当によかった。心からそう思った。
そしてもうひとつ、うれしかったのは
初めてトライアスロンを観に来た家族が、
「いいイベントだね」
そう言いながら、こう続けた。
参加している選手も、運営の人たちも、ボランティアの子たちも、みんな、いい顔してるね。
そのひとことが、何より嬉しかった。
スポーツって、本来こういうものなんだと思った。
スポーツを文化に。
そう、ここにはそれがある。
そして、守山で開催されていることが、もうほんとに嬉しい!!
正直、普段は静まり返っている元ラフォーレ(琵琶湖マリオットホテル)のロビーが、
人で溢れかえっていたあの光景には、ちょっと感動してしまった。
僕の人生そのものだったこの街で、
こんな素晴らしい大会が開かれていることに、心から感謝したい。
7.次こそ、根性発動── “走り切る”トライアスロンへ
次は、ただ完走するだけじゃなくて──
“走り切る”こと。
“根性”を発動させること。
そして「やり切った」と胸を張れるゴールを目指すこと。
来年(2026年)のLAKE BIWA TRIATHLONには、もう一度挑みます。
僕が「根性使えたな」って自分で思えたら、
それはきっと、研磨のその先にいる僕なんじゃないかな。
精神と時の部屋に入ってきます。
8.ハイキューと、長島さんと、守山に感謝
ハイキューに出会い、“根性”という言葉をちゃんと考えるようになった。
そして、地元でのトライアスロンという舞台が、僕にとって最初の“問い”の答え合わせだった。
まだその技は使えなかったけど、
これから何度でも鍛えて、いつか、自分だけの最終奥義として発動できるように。
ハイキューと、長島さんと、地元・守山に感謝。
そして次は、自分が誰かの背中を押せる存在になれるように──。
———-
振り返れば、これはもう僕にとって、“自叙伝”みたいなトライアスロンだった。
きっと、あの場所じゃなければ、出場しようなんて思わなかった。
そして、あの場所だったからこそ、完走できたんだと思う。
子どもの頃の記憶と、今の挑戦が交差する、地元というフィールド。
そこで僕は、初めて「根性」と向き合うことができた。
地元に、バンザイ。
スポーツを文化に──
その始まりは、きっと、“自分の物語”からでいい。